2024-01-01から1年間の記事一覧
「信心の人とは阿弥陀さまに出逢っている人、阿弥陀さまと直接つながっている、 阿弥陀さま(真実)と出逢っているのでわざわざ自分から信じようとする必要は無いという事であります。」 もうひとつ、「お経の一つ一つのお言葉には意味があります、無駄なお…
私の師である久保龍雲先生(私が勝手にそう思っているだけですが)のお勧めによりブログを開始して訳1年経ちました。 ちょうどその頃は仕事に追われて家に帰ってもただ寝るだけの生活で仏法から遠ざかっている頃でした。(今も似たようなものですが) 基本…
私にとってお聴聞は「南無阿弥陀仏のいわれ」をお聞きしたいという事で耳を傾けます。 お聴聞はただ聞いて終わりではなく、座談に参加して質問する事が大切ですよとお同行さまに教えて頂きました。 不審が出てきてもなかなかその場では緊張して発言出来ない…
以前にYouTube法話で「念仏が口から勝手に出てきたら怖い」というお話がありました。 どうなのでしょうか? お念仏は称えようと思って口に称える、称えようという意思で私の口を動かしている…..。 お念仏が出ないのであれば、努力して口を動かしてみる。 確…
「お浄土にはいきやすく人は少ない」という事を聞いて私はお浄土にいけないのではないか。 「獲信者は郡にひとり、信を得る人はまれである。」という事を聞いてこの言葉が頭をぐるぐるめぐり不安で仕方が無かった。 不安を解消したいため、時間の許す限り様…
阿弥陀さまは色も形も無く目に見えません、では何故目に見えないのでしょうか? 以前ご法話でこのようなお話がありました。 「色も形も無いのは意味があります、私を救う為に様々なスガタを表して働きかけていらっしゃる、形が無いのでどんな姿にもなれるの…
阿弥陀さまの願いにより沢山の仏さま方が私のもとへお念仏を届けて下さった。 お釈迦さま、阿弥陀さまは念仏称えておくれと喚びかけられている。 信前なのでお念仏を称えないというならば、仏さまは悲しまれます。 信心が無いとお浄土には参れないといわれて…
病気で苦しんでいる最中はお念仏どころではない自分であります。 少し落ち着くと阿弥陀さまは寄り添い、一緒に苦しんでいてくださっていることに気が付く。 阿弥陀さまは生活困窮を支援してくださったり、病気を治してくださったりする仏さまでは無いですが…
普段の生活の中では様々な事に出会います、これはいい事これは悪い事。 自分の目線で見て都合の良い事はいい事、都合悪い事は悪い事として分け隔てる。 自分でジャッジしているわけですから、自分が中心であります。 心がすっきりとしている時もあれば、落ち…
お釈迦さまはこの世は「無常」であると仰られましたが、私には無常がわかりません。 ※この世の全てはずっと変わらないものは無い、変化し続けるという事なのでありますね。 交通事故にあった時、会社が無くなった時、まさか自分が・・・と思うのでした。 お…
「念仏」とは何なのでしょうか。 ネットで調べてみましたところ、仏を念じて南無阿弥陀仏と称える事とあります。・・・私が仏を念じる?? そんな事が出来るのでしょうか? 清純な心、真実の心が無い私であります。 仏を念じるといっても、私には仏さまがわ…
鏡御影にはお念珠をお持ちの親鸞聖人のお姿が描かれています。 浄土宗ではお念仏を称える時にお念珠で何回数えたかのカウントを取るのだそうです。 親鸞聖人も毎日沢山お念仏を称えておられたとお聞きしました。 怠け者の私は何かの縁がない限り、お念仏を称…
私は普段の生活、生き方、仕事など自分を中心に考えてしまいます。 自分中心だから、思い通りにならないと愚痴や怒りが出てくる、全く仏さまとは正反対を突っ走っている。 お念仏に出逢ってからも変る事の無い本性でありますが、その場その場で気づかせて頂…
ある時、お手洗いでトイレットペーパーを見てふと以前お聴聞したことを思いだしました。 この紙は使い捨てであります、毎日お世話になっておりますが・・・。 紙は工場で作られます、工場を建設する為に土地を整備するそれは環境を破壊するという事であり、…
阿弥陀さまは私を救う為に私に代わって永遠のご修行をされました、修行時代の名を「法蔵菩薩」というのだそうです。 本来自力でお浄土に往く為には法蔵さまと同じご修行、つまり私は一瞬たりとも不浄な心は起こさずに永遠の修行をおさめなくてはならないとお…