第十八願

南無阿弥陀仏一つの道に入っても、まだ仰せをお聞きしていないのが20願です。

 

加茂和上は仰られました、「助けるぞの仰せを、はい」と頂くのです」私にとって宝のお言葉でありました。

 

 

私から頂こうと思っても頂く事は出来ません、大切なのは仏さまがなんとおっしゃっておられるのかであります。

 

助けるぞの仰せを、はい(なんまんだぶつ)と頂いたという事は勅命を聞いたという事です、これが18願でありました。

 

仏さまのお働きにより、お聞きさせて頂けるのであります。

 

たすけるぞのなんまんだぶつ なんまんだぶ なんまんだぶ

 

 

第二十願

法蔵菩薩さまは私一人を助ける為に、心を尽くして南無阿弥陀仏さまとなられました。

お釈迦さまはお経さまの中で、南無阿弥陀仏一つを称え聞き救われてゆきなさいとお仰られ、数限りの無い仏さま方は南無阿弥陀仏が真実だと証明して下さっていっらしゃいます。

 

日々罪悪を作り続け、仏になる為の修行が出来ない私であります

 

南無阿弥陀仏一つ以外には救われる道が無いと知らされ、お念仏ひとつの道に入る、これが20願でありました。

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏🙏

 

称え聞く

信心があっても、念仏をとなえないのはいかにも所詮がない。

また、他に心を向けず一心に念仏をとなえても、信心が浅くては往生はできないのである。

(親鸞聖人 書簡)

 

前者は19願です、仰せを聞いたご信心頂いたといってもお念仏を称えないのは、本当は聞いていないのでしょう。

 

後者は20願です、念仏称えたらすくわれるのだという考えで主体は自分です。

 

主体は阿弥陀仏、18願により真実報土に往生すると教えて頂きました。

二尊の仰せをお聞きしてお念仏称えさせて頂くのみです。

 

阿弥陀さま(助けるぞ)⇒私(南無阿弥陀仏)

なんまんだぶ なんまんだぶ

 

阿弥陀さまのご苦労

お釈迦さまは六道輪廻を説かれています

人間に生まれてこれるのは、前世に十悪を犯さないことだといわれています。

私は十悪を犯さなかったのでしょうか、とてもそうとは思えません。

今でも生きる為に殺生を繰り返して仏さまに背を向けています。

 

仏教を聞けるのは、人間だけだといわれています

私を救う為に、南無阿弥陀仏の仰せを聞かせる為に

 

 

現に今も、ご苦労お働き下さっておられます

なんまんだぶつと

 

聞其名号

十八願成就文にある「聞其名号」とはどういうことでしょうか。

私の口から出てきて下さる「南無阿弥陀仏」を聞く事でありました。

 

阿弥陀さまは称えさせ信じさせて、必ず救うと仰っておられます。

 

称え無いところに、何を聞くのでしょう?

仰せに疑いなければお念仏がこぼれ出ると思います

 

称南無阿弥陀仏 聞南無阿弥陀仏

称え聞く

昨年に続き先日も、「阿弥陀さまは念仏称えよとは仰っておられない。」

と発言されているあるお坊さまがいらっしゃいました。

同じ方ですがとても違和感を感じます。

 

 

本師龍樹菩薩は大乗無上の法をとき

歓喜地を証してぞ

ひとへに念佛すすめける

 

 

本師龍樹菩薩のおしへをつたえきかんひと

本願こころにかけしめて

つねに弥陀を称ずべし

 

龍樹菩薩の教えを頂いた親鸞さまは万人が救われるように、わかりやすいようにとこのご和讃を伝えて下さりました

 

阿弥陀さまは念仏称えよとは仰っておられないという発言は、善知識の教えを否定されているという事なのでしょうか?

 

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏🙏

 

お名号を頂く

われ今幸いに まことのみ法を聞いて

限りなきいのちをたまわり

如来の大悲にいだかれて 安らかに日々をおくる

謹んで

深きめぐみをよろこび 尊き「お名号」をいただきまつらん

なんまんだぶ なんまんだぶ