ある時、お手洗いでトイレットペーパーを見てふと以前お聴聞したことを思いだしました。
この紙は使い捨てであります、毎日お世話になっておりますが・・・。
紙は工場で作られます、工場を建設する為に土地を整備するそれは環境を破壊するという事であり、沢山の生き物の生活や命を奪っている。
操業すればずっと周りの命を奪い続ける、私は当たり前にこの目の前のトイレットペーパーを使用しています。
身の回りの衣類や生活用品、このパソコンも・・・。
わかりやすく言えば毎日の食事であります、仏さまの目から見れば私の命も魚や虫の命も同じなのでありました。
単純に言うと1匹の魚を食べたら次の生は魚に生まれて食べられる番になるという事、自分が作った業は自分で責任をとらなければならないのですね。
生きる為に殺生を繰り返す私は永遠に六道から離れる事は出来ません、そのことに気が付かずにますます悪業を積み重ねる私のこのスガタは法蔵さまの苦しみなのでありました。
その為に私の業をひとつずつ調べ上げてそれを打ち消す修行を完成されて南無阿弥陀仏さまとなられました。
普段の生活の中で私の犯す罪を調べて南無阿弥陀仏と称えさせていただく事が、「法蔵さまが私を救いたい理由とご苦労」をお聴聞することなのだと教えて頂きました。