以前に師とのやりとりで私が教えて頂いた事であります。
「私は助かるのか、助からないのか お浄土は本当にあるのか 阿弥陀さまは架空の仏さまなのでは お経はお釈迦さまのお言葉ではなく創作ではないのか 等々」このような思いに囚われていました。
これらは私側の思いであり仏願の生起でもあります。
「これらの思いに囚われては阿弥陀さまの仰せを聞く邪魔になりますが、無理に無くそうとしたりこれらの思いを否定せずに一旦横に置いてみましょう。
そしてこれらの思いの私に対して阿弥陀さまは何と仰られていますか?」
そんなお前だからこそ必ず救い取る、救わずにはおれないのだ 南無阿弥陀仏・・・。
仏→私
私の思いに囚われるという事は私自身を聴聞しているという事であります、浄土真宗のお聴聞は阿弥陀さまの仰せをお聞きする事でありました。