成長するにつれて死は何十年も先の話だ、今はもっとしたい事があるだろうと死の問題をごまかすようになりました。
学校の勉強はそっちのけで毎日将棋の勉強に没頭しました、そのうち死の問題は心の奥底に埋もれていき、紛れてしまったというわけです。
そんなある時に将棋でつながった仲の良かった先輩が事故で亡くなりました、あまりにも急な事でショックのあまり数日間食事が出来なくなってしまいました。
先輩はいなくなってしまったがどこに行ったのだろうか?
本当にこの世から消えて無くなってしまったのか、ついこの間まであんなに元気だったのに・・・。
ここは死について考える機会であったにもかかわらず、「死の問題は解決出来ない問題だ、どうする事も出来ないので忘れよう」と自分に言い聞かせるようになりました。
おそらくは食事がのどを通らずこれ以上体と心が弱っていかないよう無意識にそう思い込むようにしていたのだと思います。
それからも心の奥底にもやもやを持ちながら人生の大半を死の問題から目をそらして生き続けてきましたが、私の両親、妻の両親、親戚のおばさんと立て続けに亡くなった時、目をそらす事が出来なくなりました。
死ぬのは怖いまだまだ生きたい、自分だけは死なないと思っている、無常がわからない私でありますが、阿弥陀さまに出遇って死の意味が変わりました。
あらためて考えますとお念仏を称えさせて頂けるという事は何と有難い事でありましょうか。