無常

私が死という事について考え始めたのは小学校に入った頃だったと記憶しています。
近所のおじいちゃん、おばあちゃんが亡くなったと聞いては幼稚園に入る前に亡くなった祖父母の死を思い出しました。

 

死ってなんなんだろう、死んだらどうなるのだろうかと大人に聞いても「死んだら何もなくなる、終わりだ。」という人や「死んだら天国に行く。」「地獄なんて無いよあんなのは作り話だ。」「あなたはまだまだ先の事だからそんなことを考えないで楽しい事だけを考えなさい。」答えは様々です。

 

死んだら地獄に行く可能性があるかもしれないという事よりも、意識が無くなる、火葬されて灰になり体が無くなる、この世から存在が無くなるという事が怖かった。


小学校2年生の時でした、平和教育で広島原爆の映画とその後の被爆写真の数々を見ました、ちょうどその頃少年ジャンプではだしのゲンの連載も始まり読んでは思い出しを繰りしているうちに死ぬ時の苦痛の想像と恐怖で毎日々頭がいっぱいになっていました。

 

朝目が覚めると「ああ今生きているが今日死ぬかもしれない」、夜には「明日死ぬかもしれない、ひょっとするとこのまま目が覚めないかもしれない。」とそんなことばかりを考えるようになりました、まだこの頃は死の問題の解決というキーワードは知る由もありません。

その後小6の時に転機が訪れる、隣の市に転校です。
新しい友達が出来て環境が変わり、徐々に死を考える事も無くなっていきました。

明日に続きます。


南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏🙏✨