特に13:50からの 梯和上の一言が印象に残りました。
沢山お念仏を頑張って称えたらそれは自力では無いのか?との問いであります。
それは私がどう受け取っているかが問題でした。
沢山称えないと救われないのではないのか、不安だからいっぱい称えようとか、これだけ称えたから救われるだろうと自分が称えた事をあてとする事が自力でありました。
では他力とは何でしょうか?
釈迦弥陀の仰せに従って称えさせて頂く事。
本来ならお念仏を称えるような私では無いが仰せを聞いてお念仏を称えさせて頂ける身に育てて下さったと頂いている姿であるという事だと教わりました。
乃至一念
お経さまに書いてある通り、数に限定は無いのですね。
沢山称えても一声でもよいのでした、大切なのは南無阿弥陀仏に込められた願いを聞く事でありますから。